戦略とプロセスを明確化した事業デザイン:
自らに選択肢があることを知りながら「できない」を「できる」に!
以前は、私の学歴やキャリアを見て「中小企業のことなどわからないだろう!」などと先入観を持たれてしまうことがありました。
しかし、株式の時価総額で世界No.1(当時)を争う大手企業で社内コンサルタントとして手法を学んだ一方、中小企業の一部門の責任者として時給ウン百円のパートの「おばちゃん」ばかりに囲まれて、ブーブー言われながら泥臭い実務に携わったこともあります。
それ以来、ずっと中小企業の仕事をしており、今ではキャリアの半分以上の時間を中小企業に費やしたことになります。
「奇抜な知恵」と「戦略的な思考」を駆使し、中小企業社長の事業戦略ブレーンとして、支援を行っています。
高校生の時にアメリカのハイスクールに留学した私は、都内の私立高校卒業後、アメリカの大学を進路先に選びました。
オペレーションマネジメントや品質管理を学んだのですが、授業中に「Kaizen」などの日本語や「Ishikawa Diagram(特性要因図の別名)」などと日本人名を耳にした時はとても嬉しかったです。
大卒後、日本に戻り、オリンパスに就職。
MBA(経営学修士)取得のために再びアメリカへ渡るまでの間、オリンパスの社員として品質カイゼンの推進部門で働きました。
またMBAスクール留学中の1997年には、休学してアメリカ・ニューヨークの北、マサチューセッツ州のボストン郊外にある大手医療機器メーカー(ボストン・サイエンティフィック)でマーケティング業務に就きました。
そこはM&Aを繰り返し、短期間で業界トップクラスの規模にまで成長した会社でした。週に1回ほど、朝食(と言ってもマフィンとコーヒーだけ)をいただきながらミーティングを行っていました。
マフインを口にほおばって注意散漫な時に限って「Shiro,…」と、いきなり早口英語で質問が飛んでくることも。日本の大企業とは違い大変でした。
社会人になってから再び学生としてアメリカに戻り、その間に休学してフルタイムの仕事に就いたのです。そして改めて就職活動をしたこともあり、いくつもの会社から業務の説明を受ける機会に恵まれました。
ところが当時20代だった私には説明を聞いても、さっぱり業務のことが理解できませんでした。理解できないというよりも、理解したのは「部分」と「部分」。バラバラでぶつ切り状態でした。
実はモノが流れるところを見ればなんとなくわかる工場や物流倉庫と異なり、困ったのが事務の仕事でした。視覚的にイメージできない事務の仕事については説明を聞いただけでは理解できなかったのです。
「俺の頭はかなり悪いのかな?」「マズイぞ!」「やっぱり馬鹿なんだ!」と真剣に悩みました。英語の説明なら自身に言い訳できましたが、日本語でもわからない時は本当に「ヤバイぞ!」と感じました。
マスターした「あるコツ」とはビジネス活動を全てプロセスとして捉えることです。一連の仕事の流れをいくつかに分解して簡単なわかりやすい形にするスキルとも言えます。
それは米ゼネラル・エレクトリック(GE)社で習得した課題解決の手法でした。
アメリカでMBAを取得した直後に就職したGEは、当時、世界有数の一流企業としてかなり評判でした。そこにはジャック・ウェルチ氏という辣腕経営者がいました。
ウェルチ氏の経営手腕は、日本のビジネス界でもかなり注目されていました。
特に、世界中のGEグループに導入されたシックスシグマという手法を駆使したプロジェクトが脚光を浴びていました。当時のGEはシックスシグマを戦略の軸に据えていたのです。
私は、社内コンサルタントの役割を担い、シックスシグマの手法を使って複数のプロジェクトを渡り歩くプロジェクト専任要員(ブラックベルト)でした。そのプロジェクトで重視されたのが「プロセス思考」だったのです。
よく読む大前研一氏の著書の中に、GEやマッキンゼーの出身者を絶賛する記述をたびたび目にしましたが、確かにGEは人材育成に関して素晴らしい会社でした。
GEで学んだ課題解決の手法は、その後に渡り歩いたどの組織でも、どんな仕事に就いても非常に役立ちました。今からどこの会社へそれを持っていっても役立つはずです。
GE以外の法人でも仕事をさせていただきました。
ミスミ在籍中は戦略系の凄腕コンサルタントとして名を成した三枝匡氏が新社長として迎えられました。
氏からは国際事業の戦略づくりの場などを通じて、事業では「戦略」をつくることが何よりも重要であることを学びました。
確かに、その後ご縁があり「ダメだな!」と思った事業には共通して「戦略」が欠けていることに気付きました。その一方で目先のチャンスを追いかけることに躍起になっていたのです。
また、年商数十億円の中小企業(生鮮野菜メーカー)では「顧客ゼロ」「売上ゼロ」の状態から当初は1人で新規事業を立ち上げる機会に恵まれました。新商品、しかも「通販」という新チャネルでのチャレンジでした。
それまで大企業勤務の経験しかなく、小さな事業に不慣れであった私は失敗続きでしたが、とても泥臭い実務経験を積ませていただきました。
一字一句、原稿を自ら作成し、新聞広告をはじめさまざまなプロモーションを試しました。広告が掲載される日の朝を迎え「よし注文が来たぞ!」と鳴った電話に出る度に「○○新聞の全3段が驚きの80%offの特価で…」などと広告代理店からの営業話ばかりだった苦い経験もありました。
100万円/回もの費用で広告を出稿したにも関わらず、反応がゼロだったことは1度や2度だけではありませんでした。さまざまな媒体を試し、試行錯誤を繰り返しながら勉強しました。
実は、その生鮮野菜メーカー、1990年代の後半に風評被害で大手メディアに叩かれ、経営は窮地に追い込まれたことがありました。ところが、後にメディアを生かし、大逆転劇を演じたのです。
そこには印象に残る見事なストーリーとメディアを巧みに活用するマーケティング戦略があったのです。
私もPR・広報活動を積極的に行ったお陰で、多数のメディアに取り上げられました。地方局のテレビ番組に何度か出演しました。番組の放映中からドカドカと注文の電話が鳴り止まなかったこともありました。
大企業でサラリーマンをやっていたら絶対に機会がなかったこと(例:メディアの活用でブームを巻き起こすこと)を学びました。
実は、在籍していた当時はあまり意識していなかったのですが、後にいくつもの中小企業の実態を知るようになり、その会社がいかにメディアの活用に長けた数少ない中小企業の一つであるということを思い知らされたのです。
私が去った後も躍進し続け、後に100億円を超える規模にまで成長しました。
このようなメディアを活用したマーケティングの経験は、後に携わったロボットの普及活動にも生かされて、何度も大きくメディアに取り上げられることになりました。
2010年からロボット機器を介護現場に普及させる活動に携わりました。ある特定機種の普及に関わったというよりも、むしろ黎明期における新市場づくりです。
ロボット技術の活用は、国や自治体が力を入れている重点分野の一つ。介護人材不足や高齢者の自立支援といった介護分野の課題解決と同時に新産業の育成という狙いがあるのです。
私は自治体事業とのご縁からこの分野にいち早く深く関わり、メーカー・ユーザー・行政の間に入り、橋渡し役としてさまざまな活動を牽引しました。
先に述べた生鮮野菜メーカーで経験したメディアを積極的に活用する手法とは少し異なり、行政や地域などを巻き込んだ活動でした。
介護分野におけるロボットの普及・推進・啓発という公共性の高い取り組みだったこともあり、各方面から大きく注目されました。
国内外からの(国会議員などの)視察やヒアリングの依頼も頻繁にあり、何度も調整役・アテンド役を務めました。
以前の経験が生かされて、事業はメディアに何度も取り上げられました。海外メディアの取材対応だけでも10回どころではありませんでした。まさに介護ロボットの存在が世の中に大きく広まるキッカケになりました。
私自身も多数のメディアに取り上げていただきました。テレビ・雑誌・新聞・インターネット記事など…。知らない間にメディア対応の仕事が大きなウェイトを占めるようになっていました。
また、テレビの生放送討論番組では、スタジオに生出演するために、NHK、テレビ東京、フジテレビなどの局から用意された送迎車で収録現場に足を運んだこともありました。
先に述べた中小企業では何度もメディアに取り上げられたのですが、それなりに苦労もありました。その苦労をよく認識していたこともあり、関わった複数の自治体事業を通じて「メディアに取り上げられること」が(民間の案件より)かなり容易であるということにも気づかされました。
今後は、技術の進展がさらに加速化し、モノが高機能化・複雑化していきます。モノとモノがインターネットでつながるIoTやAIの時代が本格化します。
技術によって人の働き方や市場が変わり、当然ながら企業のあり方も大きく変わっていくはずです。
目まぐるしいスピードで市場は変化していくでしょうが、小さな会社の社長が考えるべき仕事は変わらないはずです。それは売上を伸ばし、利益を増やすこと。そのためには「選ばれる存在」になるべきです。
しかし、中小企業の経営者が、大企業のサラリーマンが好む、私がアメリカのMBAで学んだようなアカデミックな理論を学んだとしても、賢くなった気になるだけでしょう。そのまま真似しても、事業がうまくいかないのは当然です。なぜなら、それは大企業向けの手法だからです。
このように悩まれている中小企業の経営者は少なくありません。そこで、私はお客さまのビジョン実現を支援することを目的に、「戦略プロセス経営実践会」という新しい屋号のもと、新たなサービスをスタートさせました。
当会の使命は、お客さまのビジョン実現に向けて「戦略とプロセスのデザイン屋さん」として、体系的な事業構築を行なう支援を通じ、経営力の向上を図ることです。
短絡的・単発的な目先の解決策やチャンスを追求するばかりではなく、戦略やプロセスを重視する真のビジネス構築を願う経営者の方々との出会いを心より願っています。
1969年1月生まれ。米国の大学卒業後、東京のオリンパス勤務を経て、米国でMBA(経営学修士)を取得。
MBA留学中には、世界トップクラスの医療機器メーカーであるボストン・サイエンティフィックの米国本社で、日本市場向けのマーケティング業務に携わる。
帰国後は、米GE(ゼネラル・エレクトリック)社で経営改革の手法である「シックスシグマ」を駆使し、複数のプロジェクトリーダー(ブラックベルト)を務め、プロジェクトマネジメントや外資系コンサルティングのスキルを磨く。
また、年商数十億円(当時)の生鮮食品メーカーでは「売上ゼロ」「顧客ゼロ」の状態から責任者として健康食品の通販事業を立ち上げる。メディアに何度も取り上げられたが、もがき苦しみながら泥臭い通販実務を学ぶ。
2008年に株式会社とげぬきを設立以来、企業支援に関わると同時に、2010年から介護分野でのロボット普及活動にも携わる。行政や地域などを巻き込んだ活動で国内外から大きな注目を浴びた。
後に、介護ロボット経営実践会を設立し、さらに戦略プロセス経営実践会の活動をスタート。MBAの理論と外資系コンサルタントのスキル、そして中小企業での実務経験を融合させ、「戦略とプロセスのデザイン屋さん」として事業デザインの支援を行っている。その一方で、地方自治体との連携を活かした市場開拓やPRに強みを持ち、その支援に力を注いでいる。
主な支援実績を支援先の業態別、製品・サービス別に紹介します。
年間売上数千億円を超える東証一部企業の新規事業立ち上げ部門から、夫婦だけで経営している零細事業者、それに起業してからまだ売上がない個人事業主に至るまで多岐にわたる支援実績があります。
なお、上記には含めていませんが、公的機関の仕事として行ったロボット機器関連(販売促進、導入・活用支援など)の業務は、非常に数が多く業種が多岐にわたります。
2010年以降のメディア実績を紹介します。
なお、以下では、個人名(関口史郎)が紹介(記載)された実績のみを紹介しています。つまり、取材の対応をしたにも関わらず、支援・所属先の名称だけが紹介(記載)された、あるいは、一緒に対応した他の者の個人名だけが紹介(記載)されたような場合の実績については対象外としています。
なお、民間企業からの依頼は、多くがクローズドな社内セミナー・研修のため、公表しておりません。
体の形を変えながら活動するアメーバのごとく、変化に迅速かつ柔軟に対応し、硬直的にならない働き方を実践しています。ある期間は一人でコンサルタントとして、またある時は組織の中に入りチームの一員として、「生涯現役」で働き続けることを目指しています。
なお、2010年に下記3つのモットーを生きていく上での指針として掲げました。
年間売上10億円規模の中小企業の新規事業向け
勝てる事業の戦略とマーケティング
「損益構造の見える化」で収益最大化を目指すポイント!